ビジョンをサポートすることは邪悪であり、逆に、そのビジョンを弱体化させる行動は尊いとされる、文化的な崩壊の兆しがあります。例えば、学校で子供達は、成功することで物質的な報酬(ほうび)を求めることは、決して激励されません。成功とは、自分のために探し求めるもので、それがもたらす富ではありません。ビジネスのリーダーは、独自の創造性、そして社会的貢献によって、理想のモデルとみなされています。しかし、 (さらに…)
ビジョンをサポートすることは邪悪であり、逆に、そのビジョンを弱体化させる行動は尊いとされる、文化的な崩壊の兆しがあります。例えば、学校で子供達は、成功することで物質的な報酬(ほうび)を求めることは、決して激励されません。成功とは、自分のために探し求めるもので、それがもたらす富ではありません。ビジネスのリーダーは、独自の創造性、そして社会的貢献によって、理想のモデルとみなされています。しかし、 (さらに…)
ある物語の中で、文字が書かれた大きな石を、道路で見つけた男の話があります。「私の下に、偉大なる真実あり」。男は、必死になってその石をひっくりかえすと、その裏にこうかかれていました。
「既に自分が分かっていることを実践しないのなら、新しい真実がどうして必要なのですか?
(From “Meditation” (by Eknath Easwaran), Page 204)
心配というのは、向けられたエネルギーが形となったものです。
心配は、あらゆることからフォーカスを奪い取り、自分が恐れていることに集中的に意識をむけさせてしまいます。
心配と恐怖が一緒になると、まさに恐れているものを
あなたの存在の中に持ち込んできます。
物事がうまくいく宇宙の法則を理解すると、段々と心配することはなくなっていきます。
その法則の一つに、 (さらに…)
実用的に、非暴力な変化を社会にもたらす必要性を、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアが雄弁に表現しています。
「目には目を」という古い体制(考え)は、人間を盲目にしてしまいます。その理由は、相手の理解を得ることよりも、相手を侮辱する方向にエネルギーを費やしてしまうので、モラルに反しているからです。改心することよりも、相手を消滅させようとします。暴力は、 (さらに…)
ある日のこと、ブッダは、強盗に脅迫され殺されそうになりました。「どうか最後の親切だと思って、私の死に際の願いをかなえてください」とブッダは言いました。「あの木の根元を切ってくれませんか」。刀で一切り、木は切り落とされました。「次はなんだ?」強盗は尋ねました。「それをもう一度もとに戻してくれませんか」とブッダは言いました。強盗は笑って「誰がそんなことができるもんか、頭でもおかしいんじゃないか」。そしてブッダはこう言ったのです。「自分は力があるから、人を傷つけたり破壊したりできるのだと信じているあなたのほうこそ頭がおかしいのです。それは子供のすることです。本当の強き者は、創造し、癒すことを知っているのです」。
(From “The Heart of the Enlightened” by Anthony deMello, 35-6)
昔むかし、日中には鳥たちがさえずり、虫たちが音楽を演奏している森がありました。木々が多く育ち、花が咲き乱れ、様々な生物が自由に歩き回っていました。
その森に足を踏み入れた者は、神の家といわれている「ソリチュード(沈黙)」に導かれました。その神とは、自然の静けさと美しさをいつくしむ神です。
しかし、アンコンシャス(無意識)という時代が訪れ、高層ビルを立てることが可能になり、川や森、そして (さらに…)
エゴとは無関係で「ワンネス(一体である)」という意識は、非常に明らかなものです。そのため、ユニテイー(あなたと他者はつながっていること)は、幸せへの鍵となるのです。
「離れている」(お互いがつながっていない)思い込みを変容させ、体が間違って察知している感覚を全て遮断すると、さらに勢いよく、喜びに満ちた人生へと飛躍を遂げることができるのです。
ユニティー(あなたと他者はつながっていること)を認識することは、自分の傷を癒してくれる行為なのです。
(From the book “Everyday Grace” by Marianne Williamson, page 257)
なぜ痛みが必要なのでしょう?
偶然にも舌を噛んでしまった時、ポジティブにその痛みをとらえることは、とても難しいものです。足の親指にできた水ぶくれも同じことです。誰もズキズキ痛む足など嫌ですよね。しかし、全く痛みを感じなかったらどうなるでしょう? 何度、同じように自分の舌を噛んでしまうことでしょうか? 何度、お風呂で背中を焼けどしてしまうでしょう?
身体的な痛みは、ある意味では、私達に警告してくれている素晴らしいシステムで、さらなるダメージを防いでくれるのです。「あなたが今、していることを変えた (さらに…)
自分のことが「好きではない」状態に陥ると、 エゴ(自尊心)が膨張しはじめます。自慢したり、見せびらかしたりする行為は、自分の好きになれない点がどこなのか、そして、その償いとして、他の人に気に入られようとしている問題点を浮き彫りにします。本当の愛情というものは (さらに…)
エゴは、コントロールされた過去と未来の限られた世界へ、あなたを閉じ込めようと、後ろめたい気持ちや、自分が価値のない人間だと感じさせようとします。後ろめたさ、そして非難は、コントロールする上で、2つの重要な戦略なのです。また、私達が本当に責任をもって生きることを回避させる方法でもあるのです。
確かに、人生で起こっていることに対して誰かを責めたいと感じるのならば、自己責任から回避できます。誰か他の人を責めるわけですから。他の誰かを後ろめたく感じされることができれば、その人をコントロールして、自らの責任が彼らのあるよう思い込ませるのは、非常に簡単なことです。自分は価値のない人間だという感情においても同じことです。もしあなたがそう思うのなら、自分本来のパワーを発揮できず、容易にコントロールされてしまうでしょう。(From The Daily Guru, March 12,2004)