目的意識や意義を持つことは、私たちの強みとなります。つまり「意義」を明確に理解すると、何をすればいいかがはっきりと分かり、エネルギーがそれに反応します。その反対に意義を理解できなければ、退屈のあまり「あくび」をし、エネルギーは落ちていきます。これは、日常生活での大きな問題の一つとなっています。人がうらやむような状況で、完璧になほどに心地よく過ごしながらも、退屈でしょうがない生活を送っている人もいます。危険度の高い状況で不安ではありながらも、「生きていること」を実感している人もいます。危険は、メンタルな面で必ず「努力」を強います。人生から一歩下がって、つまりキャンバスから少し下がって(絵を)見る画家のように、全般的な絵(意義)を理解しなければならないからです。その結果、生命力がみなぎってきます。文明は、人間が、ますまず「快適な」状態のいいなりになってしまったため、「人類の失脚」であるかのように見えます。健全なスピリットは、通常、そのような状態を嫌い、実際に外に出向き「快適でないもの」を探そうとします。これは、ガンジー、ゴッホ、ローレンスなどの「アウトサイダー」と呼ばれる人たち、つまり「快適なもの」に背を向けた人が取った矛盾とも見える行動です。しかし、人間は、生まれ持ってバランスを調節する機能を持っています。それは「イマジネーション」というものです…
多くの人が、実は、現代の娯楽のほとんどが、実は「退屈」から生まれたものであることを認識できていません。豊かな社会に見られる根本的な原則は、「退屈なときには、出かけて何かを買うこと。また家の中は、めったに使わない装置・小物で溢れていること」です。精神的に(スピリチュアル的に)豊かな人は、あらゆることに興味を持っていたため、特別に他の何かを探して、刺激を求める必要がありませんでした。自分にご褒美をあげたい時には、丘の上に座って星を眺めたのです。