問題となるのは、仕事がないということではなく、有給雇用に対する極端な依存を作り出し、健全な社会に本質的と思われる多くの活動を無視して、逆にダメージを与えるような仕事に給与を与えている社会構造です。ここ10~20年前までは、人々は、無給形態でより生産的な仕事に就いていたことを思い出してみてください。そのような社会では、基盤となる骨組みがしっかりしていて、現在の社会よりも、もっと安全性と充足感を人々に提供していました。
持続可能な生活を営むためのイニシアチブは、様々な状況や願望に反応して進化することもありますが、今までの方針や実例から、いくつかの特徴が推測できます。例えば、都市地域では、近所単位で、住居、仕事、レクリエーション、そして商業施設(スーパーマーケットなど)があり、近所単位のニーズにあわせて、持続的な「自立」を保つことができます。
緑のスペースや、人々が集中して交流することなどが特徴で、エネルギー、バイオマス、物質的な生産において、高いレベルでの自立を求めます。
人間と環境が関連しあった生産的な活動とは、下水のリサイクル、固形廃棄物、そしてつり池の空気、庭、緑の地域をリサイクルし、持続的に自分たちの資源を再生していく地域還元的なプロセスです(つまり、地域という輪の中で還元して再利用していく)。
都心農業と水産養殖に関する仕事は、修復作業、再生作業どちらにしても、集中してリサイクルすることで、豊かな暮らしもたらす仕事となり、持続性の可能性を高めることになります。社会奉仕として自立した近所単位で、このような活動を計画することは、家族やコミュニティーの絆を再生し、管理(家族、コミュニティーなど)を分散化し、男性と女性が共に家族責任をさらに分かち合うように促します。
人材や物品の輸送の必要性が少なくなります。地元で生産された食べ物は新鮮で、パッケージ化されておらず、再生可能な容器に保存されています。
そしてエレクトロニクス産業の恩恵を受け、自宅で行う仕事(コンピューターを使って)やメールオーダーなどを利用してホーム(家)をベース(基盤)にしながら、リサイクル、そして都心農業と密接に関わることが幅広くいろいろな形で可能になってきています。
コミュニティーをベースとしたデイケア、ファミリー・カウンセリング、学校、ファミリー・ヘルス・サービス、多目的なコミュニティーセンターなどのファミリー・サポート・サービスが、近所内に住む人々をまとめる働き(機能)となり、地元の人が「歩いていける距離」で、実用的かつ意義のある仕事に通えるようになります。
多くの地域では、地域の経済活動を促進し、お金の流通が地元「内」で流れるように独自の「貨幣」を生み出すことも可能です。大人は、自分の時間を「お金」に関連した活動と、「社会」にフォーカスした時間とに割り当てることができます。以前(昔に)家族と地域生活の中心として機能していた「多機能のホーム(家)」が復活し、自動車やエネルギーを集中して消費する他の交通手段に頼らなくなります。ハイウエイの道沿いには、大きな広告看板にとってかわり、新しく木々を飢えるのです。商品の広告(情報)は、必要な時だけ、要求に応じて提供していくように「リミット」を設けるのです。
(From the book”When Corporations Rule the World” by David Korten, pages 290-1)