西洋の国で最も悲しい現実とは「消費する衝動観念」です。私たちは、お墨付きの「くだらないガラクタ」を受け入れるよう促されていることです。つまり、商品(物質)を所有することで、心の満足を見た質得るという現実です。服のスタイル、個々のニーズに合わせて仕立てられた電子コミュニケーション、個人の要望にカスタマイズされた厳しいエクササイズの内容、キャリアなど。つまり、これらの「物質的なもの」が「他の人間」からよりも満足を得ているという事実です。若い、ハンサムな見知らぬ人とバルバドスで一週間過ごすほうが、心から愛して愛されている、責任と義務を感じる人と一緒にいることよりも幸せを感じるのです。
 
外部の人(西洋以外の国の人々)には、私たちは、愛する人とセックスをしたり、誰かのために夕食を用意したり、アイデアを分かち合ったりする表現方法がとても不器用に育ったように見え、本質的な意味に焦点をあてて、その質を高めるテクニックや方法を持っていないように映ることでしょう。そして、実際そうでないとしても、私たちの多くが精神的に孤立したまま存在していて、物質を購入することで得る継続的な刺激の流れから切り離されると、心に不安を覚えるようになるのです。

この泥沼のような状況から、どのような方法で脱出することができるのでしょうか? 私たちの歴史を辿ってみても、当時は小規模でしたが現状は似通ったものでした。私たちが用いる手段は、実は、自分達が実際創り上げたものではなく、想像したものであることが、発達した文明を持つ西洋人として、私たち誰もが本当は分かっているのです。テクノロジーの不成功は、私たちの想像の不成功に比べると大したことではないことも分かっています。そして、これから脱出する方法も分かっています。それは、キリスト教の愛、他者への寛大な心と慈悲、ちょっとした奉仕の心であり、愛そのものなのです。人生の複雑なパラドックス(矛盾)を解決するのではなく、むしろそれを受け入れる知恵なのです。

実践的なレベルでは、売れる物を作ることをやめ、むしろ誰かの助けとなる物を作らなければなりません。ストーリー、つまり音楽、劇やダンス、そして絵を描くことや写真などのストーリーを、商品としてではなく、再現(新しいものを再度作り上げる)の源(基盤)として、また私たち人間の品格、意識の源としてもう一度発見しなければなりません。運命とは、政府がコントロールを握っているものでもなく、資本主義が左右するものでもなく、私たち人間同士が運命の鍵を握っているのです。

そして、ユーモアのセンスを再度発見しなければならないのです。 (Earth Island Journal, Spring 95, 35)

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