誰もが共通して持っている課題は、個人、そして社会のレベルでも、スピード、中毒、そして「人生(生きること)」に反する葛藤(戦い)に終止符を打つことへの拒否から生まれる痛みから一歩踏み出すことです。一番大きな変化は、このシンプルな行動からもたらされるのですから。

仏教の教えをプラクティス(実践)する多くの人は、古くなった破壊的な、反復する思考パターンを破って変化させるために、ある慣用句を繰り返し利用しています。
しかし、マインドを再教育したとしても、完全に成功することは容易ではありません。なぜなら、マインドは、私達がどれだけ命令しようとしても、自分で勝手に動く性質があるからです。よって、マインドの対立をより深く癒すために、その「対立」が自分自身(の一部)であると思わないことです。対立と(頭の中に現れる)思考は、常に忙しくあなたに語りかけます(黙ることがありません)。癒しをもたらすためには、マインドが作りあげる様々なストーリーから一歩さがることを学ばなければならないのです。
 この世の中の多くの悲しみは、マインドと心がつながっていない時に起こります。瞑想では、自分の心ともう一度つながり、あらゆる思考の対立の中にも、内在する空間(広がり)、つながり、そして思いやりが存在していることを発見するのです。

心が、ストーリーとアイデア、ファンタジーとマインドの恐怖心を信じることなく、それに従うことも、満足させることもなく「ただ」(そのままを)受け入れるのです。忙しく動く思考を超えて、真実の核の部分に触れると、そこには、愛おしい癒しの沈黙との出会いがあり、内在する穏やかさ、善意の心、強さ、そして全体性(自分と他のものは全てつながっているという感覚)は、生まれながら誰もが持つ権利であることを認識します。この基本的な善意は、時として「原点となる性質(自然の姿)、もしくはブッダの性質」とも言われています。本来の原点(自然の姿)に戻ることで、マインドがどのように機能するかを理解し、平和と善意の中に体も心も安らぐことで、マインドは癒されていくことが分かってきます。
(A Path With Heart by Jack Kornfield, p. 29, 50-1)

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