ブラジルの神学者、Ruben Alvezが執筆した「未来の子供」という本の中で、彼は述べています:
希望とは何でしょう。「想像したもの」が、実はより現実的なもので、また、現実は、見かけよりも非現実であるという感情です。半端ではないほど私たちを抑圧している残酷な事実は、決して「最終的な姿」ではない疑うことです(つまり、世界にはあまりにも「残酷」な行為がはびこっていますが、もう何も手を尽くすことがない「最終章」に来ているのだと諦めてしまわないことです)。そして、現実主義者が唱える以上に現実は、より複雑であるという直感です。例え誰かが「無理だ」と言っても、全ては(信じる限り)可能なのです。これら全てが、希望の要素です。
奇跡的な、予期できない方法で、人生は、 フリーダム(自由)と救済への道を開くためにクリテイテイブな出来事を用意してくれています。しかし、苦悩と希望は、お互いから学びながら存在する関係にあります。希望のない苦悩は、後悔と絶望を生み出します。苦悩のない希望は、勘違い、認識不足、そして陶酔(酔いしれた状態)を生み出します。実際に実を食べることがなくても、種をうえましょう。見ることがないかもしれない愛のために私達は、生きていかなければならないのです。これが「訓練」の秘訣なのです。即座の感覚的な経験を欲するニーズ(必要性)で、独自のクリエイティブな行動を解決しようとすることを「拒絶」してください。
(即座の「満足」を与えるものに依存するのではなく、すぐに結果はもたらされなくても、その見えない「愛」のために、種を植えることがとても大切なのです)。
そして、それは、私達の次の世代の未来への断固としたコミットメントでもあります。そのような訓練された愛情は、歴史に登場した聖人、改革者、そして殉教者たちに、心に描いた未来を信じたがゆえに、自らの死を覚悟する勇気を与えたのです。つまり、自らの(身体的な)存在が、自分が信じた希望の種となることを願ったのです。
(彼らのの死は、未来をこれから作っていく者たちが、よりよい社会をつくりあげていくための、インスピレーションの「種」となるのです)。