豊かさの基盤が「寛大さ(与えること)」であることは、経済的に見ても明らかです。近代国家が生み出す富は、3つのソース(源)から生まれています。1)前世代の人々による勤勉、自己犠牲、そして発明(車、電気など偉大なる発明品) 2)アジア、アフリカ、そしてアメリカの土地で、西洋人そして近代の西洋化された起業者によって資源開発された巨大な富 (土地と人の開発)3)地球、太陽、そして海、風などの自然環境。この3つが、私達が住む社会、地球に「与えられた」からこそ、現代の富がもたらされたのです。

そして、近代社会の住人である私たちは、未来がより裕福に繁栄するために、富をさらにもたらすことに貢献しなければなりません。前世代の社会貢献に感謝しながら、未来の世代のために、将来の地球と社会の健全性を考えて、(今度は)「消費」を抑えた違った方法で引き続き貢献することができるのです。

開拓者のみが受け取っていた富を、今度は「開拓された土地に住んでいた人々」に分配すること、つまり、特に彼らが自力で富を生産できるのに必要な備品(道具)を提供する形でお返しができます。

そして、地球に対しても、汚染をストップさせ、今まで(人間が)作り上げた「混乱した状態」を一掃し、長期間にわたって健全な状態を保てるように努力することでお返しすることもできます。このように自発的にお返しをする機会はいくらでもあるのです。もしその機会を逃してしまったら、私たち人類は、完全に道に迷ってしまう事は確実でしょう。

度量の小さな考え方、欠乏した(バランスのとれていない)心理学、短期間の利益追求、破壊的な強奪、これらはお互い(人と人)が「敵」になってしまいます。その反対に、寛大な行為は、お互いが仲良くなります。要するに、超越すること(エゴを越えて存在すること)は「寛大さ」の根底にあるのです。寛大さは、進化的に生き延びること(サバイバル)の根源です。進化的に生き延びることは、結果的にエゴを超えて存在することの無常の喜びを解き放ちます。この3つの概念は、蓄積された日常の習慣、エゴ中心の習慣、そして依存のサイクルよりもさらによりパワフルなものです。そしてこの3つの概念が、生きたニルヴァーナ(至福の境地)であり、後者(習慣的、エゴ中心の依存に基づいたサイクル)は、継続して「死」がもたらされるサムサラ(転生)です。

最も大切な「与える」行為とは、興味深いことですが、「与える」ことは「寛大な行為」の自然な姿にも関わらず、物質的な必要性を満たすことだけではないのです。ここで一番大切な価値とは、自由(解放すること)、超越すること(エゴを越えること)、そして啓発された状態(目覚めた状態)の中に存在すること(自分のスピリチュアルな部分とつながること)なのです。よって、社会の教育システムは、ただ社会に仕え、お決まりの「仕事人間」を作り出だすものではないのです。

教育システムは、(個人が)自由、啓発への扉を開くものです。社会の「脳」にあたるものです。社会自体は、それを助長する以外なにの役目もありません。教育システムは、自由解放の社会の扉なのです。教育というギフト(恩恵)を人々に与えることで、自由、自立、理解、選択が提供され、それら全てが積み重なったものが「啓発」という言葉に要約されています。人生は、啓発(目覚めること)の目的のためにあり、啓発が人生の目的のためにあるのではありません。この不思議なパラドックス(逆説)にあるように、「啓発」(目覚めること)が人生をより価値あるものにしてくれることは言うまでもありません。「啓発」された状態(目覚めた状態)に存在できるようになると、人生に(狭い固定概念に)縛られることなく、エゴを解放し、少なくとも人生がより楽しいものになるからです。

よって人類の進化は、「本質的に人を変えていく」教育によってもたらされます。社会は、教育に力をいれることでより深い「意義」を持つようになります。教育の価値をより大切にすることで、生きる価値が高まります。そして、気高い精神に基づいて「与えること」とは、まず地球規模で、完全に限界のない教育を、誰に対しても差別なく与えることなのです。 (From the book “The Path of Compassion” (edited by Fred Eppsteiner), p. 131-3)

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